三塚先生追悼登山 
 梓嶺(あずさみね)別名梓山 725.1m  大分県・宮崎県県境
令和3年8月27日(金曜日)晴れ 
北緯 32度46分13秒  東経 131度38分58秒
 大分市よりR10で豊後大野市犬飼に向かいます。犬飼よりR326に入ります。佐伯市宇目に入り、約49.4Kmで「上小野市交差点」を通過します。約51.2Kmの交差点を左折します。(ここを起点とします)約4.5Km後三差路を右折します。直ぐに市園川に架かる、蔵小野橋を渡ります。約5.2Km後の三差路は左折します。約9.7Km後に峠状交差点です。右折し水ケ谷方面に進みます。約11.9Kmで黒土峠です。ここは西南戦争の際、政府軍と薩摩軍との戦場跡です。峠を下り約13.9Kmで、左手に「古代官道跡、梓峠道」の標識があります。手前の路側帯に駐車しました。 
     
(1) 駐車した手前約2Kmにある標識です。標識には「古戦場跡 黒土峠」 標柱には「天正の頃豊薩戦・西南戦争」   (2)地形図 クリックで拡大
     
 
(3) 梓峠道入口の手前に駐車しました。GPS標高463m。    (4) 前項印です。 
     
   
(5) しばらくは、未舗装ですが広い林道です。    (6) 所が直ぐに、夏草で覆われ、あれた林道となります。
     
   
(7) 約16分後林道終点です。 荒れた山道となります。地形図には出ていない山道を登って行きます。GPS標高547m。歩行距離約853m。   (8) 約25分後、ネット沿いに登って行くと目印テープがありますが、かなり変色(劣化)しています。GPS標高584m。
     
   
(9) ダンダンとキツイ登りとなってきます。テープは見当たりませんが、山頂目指してひたすら登ります。    (10) 前方が明るくなってきました。尾根?
     
   
(11) 約30分後、尾根に出ました。たくさんの目印テープがあります(印)梓嶺へは、右に曲がり少し下りますが、ちょっと寄り道して左に曲がり、大岩を見に行きました、GPS標高600m。   (12) 約10分ほどで大岩です。撮り、引き返しました。前項まで帰りました。この間約26分のロスです。歩行時間には入れていません。
     
     
(13) (11項)のピーク分岐点まで戻り、登山道としては右折し、正規のルートに戻り、山頂を目指します。少し下りますが、すぐに急登が待ってます。    (14) 約60分後、ヤット県境尾根です。この時も少し寄り道して、右折に尾根を少し下り、引き返しました。この間約14分のロスです。尾根は左に曲がり少し下ります。GPS標高699m。目印テープがあります。(印) 距離約1.42Km。
     
   
(15) 約66分頃、最後の登りです。GPS標高692m。歩行距離約1.5Km。    (16) 約74分で山頂です。
     
   
(17) 三角点と標柱です。GPS標高722m。歩行距離約1.5Km。   (18) 角度は違いますが、平成18年11月25日の写真です。この時期は木々が伐採され、360度のパノラマが楽しめました。「梓山」標識は先生自作です。
     
   
(19) 現在は木々に覆われ、展望は期待できません。    (20) 四等三角点です。基準点は「梓峠」です。標高725.1mです。
     
 梓嶺へは平成18年11月25日。平成20年5月31日。そして今回です。
平成18年は、三塚先生と登りました。当時は、GPSもスマホもありません。勿論資料もありません。地形図と高度計を頼りに、帰路に迷わないように目印テープを多めに取り付け、道なき道(?)を山頂を目指しました。その後、かくれ名山として、紹介されました。
 平成20年3月20日に大分合同新聞「大分のかくれ名山たち」に紹介されましたので、改めて紹介ルートを登りました。
 今回は、先生の追悼登山として、平成18年に登ったルートを、スマホ「YAMAP」を頼りに登りました。現在地も分かるし、同じ道を下るのであれば、軌跡通りに下れは迷うことは,先ずありません。ほとんど目印テープも無く、踏み跡もはっきりしない路をYAMAPのおかげで、当時を偲びながら登ることが出来ました。
 わが師、三塚正志様は令和3年4月1日にご逝去されました。
 ご冥福をお祈りいたします。